ヒトの認識力について

箸をもつと、箸で触れたものの堅さや質感を感じることができます。
自転車に乗ると、自転車の大きさを自分の大きさとして認識することができます。
人は、自己として認識する範囲を変えることができます。

これって、面白いですよね。

どこかへ向かうときに、人は歩くことや足を前に出すことを意識しないですよね。
毎日、玄関のドアをあけて鍵を閉める動作を繰り返していると、
家を出ることを意識しても、ドアを開け閉めしたり鍵をかけたりすることは
無意識にやっていたりしますよね。

人の認識力って本当に面白い。

小説を読んでいて、描写された風景をイメージしたり。
映画やドラマを見ていて、登場人物の心情に自己を投影したり。
人って、想像力がかけた情報を保管したり増幅したりするんですよ。

最近の人工無脳たちは動物の名前がつくことが多いです。
「うさぎ」という名前があると、人は「うさぎなのか」とイメージすることができます。
「うし」という名前があると、人は「うしなのか」とイメージすることができます。

「ロボットです」というと、なんだか無機質なものをイメージし、
感情移入することが難しいでしょう。
しかし、「うさぎです」というと、人は感情をもって違和感なく接することができるでしょう。

携帯電話を日常使っているひとは、携帯電話を持ち歩くことが無意識化し
身体の延長線上、あるいはその一部として認識しかけているのかもしれません。

キーボードを日常使っているひとは、「キーボードを打つ」ことは意識しません。
入力する文字や文章、単語などを意識します。

日常や過去の経験から学習したことは、無意識化に蓄積/反映されて
人は多くを意識することなく行動することができるんですね。

ウェブサイトやブラウザの操作にも、人が学習してきたパターンというものが
あると思いませんか?

そういうものを使って、何か面白いことができないかと少し考えてみたりしました。